今回は、生産者さんへのインタビューレポートをお届けします。
訪れたのは、滋賀県東近江市の田園風景が広がる自然豊かな場所で、農薬・肥料を使わない自然農法でお米を生産されている池内農園。滋賀県内で農業に携わる女性を応援する”しが農業女子100人プロジェクト”のメンバーとして活動され、農業を始めて8年目になる池内桃子さん、そして桃子さんの師匠であるお母さんにお話を伺いました。
「農業は絶対にしたくない!」
➖桃子さんが農業を始められたきっかけを教えてください。
桃子さん:
私は、もともと「農業は絶対にしたくない!」と思っていました。若い頃は海外への憧れが強く、外国語を勉強し留学するという目標に向かって頑張っていました。それを一番応援してくれたのが母でした。父が早くに亡くなっていたこともあり、普通は家(農業)のことを手伝うよう言われるところですが、母は快く海外へ送り出してくれました。
念願叶って海外で生活をすることになりましたが、一方で「日本に帰ったら何をしよう?」という気持ちもありました。いよいよ親孝行をしたいという思いはありましたが、それでも「”生産者”はない!」と思っていました。母の大変な姿を見て育ってきたので、農業に手を出したら大変なことになると。そして日本へ戻ってから、農業ではなく料理の道に進むことを決めました。
実は海外から帰ってすぐに、広島で行われたパン・アジア ユースリーダーサミット(※1)に参加する機会がありました。サミットでは、海外から来た青年たちは、実際に自分たちが体験したことを発表していました。一方で日本の青年は、英語は話せても自分の体験を発表できる人が一人もいなくて、正直「これはまずい…」と思いました。ちょっと料理をかじっただけの私は、環境のテーマなのに何も語れない状態。自分で体験することの大切さを実感した瞬間でした。
料理の道から農業へ
桃子さん:
それから料理について学び始めました。料理家の方や食育を発信されている方との出会いがあり、一から料理を教わりレシピを考えたりと、アシスタントとしての下積みを経験しました。そして4年が経った頃、それまでのアシスタントの立場から「自立したい」という思いがあった時に、母の圃場で研修生として作業を手伝っていた方が辞めることになったんです。母は「どうしよう、どうしたらいいんだろう」と毎日泣いていました。
そのころ、イタリアにて農薬・肥料を使わない自然農法のオリーブを生産されている方のお話を聞く機会があり、自分の想いを話しました。そして頂いたのは「あなたの魂が喜ぶことをしなさい」という言葉でした。それがきっかけとなって「母のもとで、自然農法に携わろう」という決意に至り、現在8年が経ちました。
その後はフードコーディネーターの勉強のため、田んぼを手伝いながら大阪の学校に通い、本格的に料理を学びました。そういう経緯で、農業がやりたかった訳ではなく「農業が嫌」という気持ちから始まったんです。
桃子さん:
当時の私は「素材を発信するには料理しかない」という考えでした。ところが実際に料理を食べてもらうと、素材のことを聞かれるんです。でも、私は答えられない。これは実際に農業をしてみないと分からないなと思ったんです。それが農業を始めるきっかけになりました。
最初の頃は、母に「こうしたらもっと人が来てくれるのに」とか「私も料理できるし」など調子に乗って言っていましたが、母は「やってから物言え」と(笑)今となってはその通りだと実感しています。実際に土に触れてみないと分からないことばかりなんです。
➖お母さんは、桃子さんに農業を継いでもらいたいという気持ちはあったんですか?
お母さん:
ないです。息子にやってもらえたらと思ってましたし、(桃子さんは)2番目なので、自分のやりたいことをやったらいいと。そんな中で、一緒に農業をすることになったときは本当に嬉しかったです。
桃子さん:
でも、普段は全然褒めないんですよ。始めの3年くらいは、何の自覚もなく母に言われるままに動いていました。そして上から目線で「お母さん、こうしたら効率よく作業できる」とか色々言って、そのうち「もう帰る!」と喧嘩になったり(笑)そういう年が続きました。
あるとき、母の体が悪くなり一緒に作業ができなくなったことがありました。そうしたら、何も分からなくなってしまって。一年に一回一回のことですから、たった3年では情けないくらい本当に何も分からないんです。それから自分で自覚してやるようになりましたが、8年経った今でも、まだまだ聞かないと分からないことばかりです。母には「やってから物言え」と言われていましたが、やったら何も言えなくなりました。
ゼロから農業を始め、先生は近所のおじさん
➖お母さんは、農業を始めて何年になるんですか?
お母さん:
自然農法は26年ですが、その前に慣行農法で20年やっていました。私は4人姉妹の3番目で跡取りではなかったんですが、22歳の時、突然「一番上の姉を嫁に出すから帰ってこい」と言われて。それこそ何も知らないゼロから始まりました。
それまで京都でデザインの仕事をしていたので、桑も鋤も全然持ったことがない状態。姉妹の中でも一番農業を手伝わなかったから、周りから「ごくたれ(怠け者)」と言われていました(笑)でも、高校一年の時に父が亡くなっていたので、一番ご厄介になった姉には文句は言えない。「姉の幸せのためなら何とかしなきゃ」という気持ちでした。
父のあとは、姉が責任を持って母と一緒に農業をしてくれていました。ところが、いざ私が農業を手伝うことになっても、姉は何も教えてくれませんでした。当時は(自然農法ではなく)肥をやってましたので、「肥は細かくやれ」と、言われたのはそれだけです(笑)
誰も教えてくれない中で、先生は隣近所のおじさんでした。私はとにかく何でも人に聞くんです。そうすると周りの人は何でも答えてくれて、そうやって農業を学びました。その後、農薬・肥料を使わない自然農法に出会い、平成4年から自然農法に切り替えました。
(次回に続く)
➖【連載】「自然農法を次世代へ繋げたい」農薬・肥料を使わないお米を作り続けて26年、家族で営む池内農園@滋賀県東近江市のインタビューレポート。
第一回目は、桃子さんが農業に携わるまでの道のり、師匠であるお母さんの歩みについてお話を伺いました。続編もお楽しみに!
【プロフィール】池内桃子さん
農家生まれ、農家育ち。農薬・肥料を使わない自然農法に携わり8年目。フードコーディネーターとして素材の味を生かしたレシピを考案し、ケータリングや料理教室などを通して素材の旨味を発信。”しが農業女子100人プロジェクト”に参画し、滋賀県内で農業に携わる女性をサポートする活動に携わっている。
(※1) パン・アジア ユースリーダーサミット
2004年、国連開発計画(UNDP)主催により広島で開催された国際会議パン・アジア・ユース・リーダシップ・サミット。「直面している困難に立ち向かおうとしている青年リーダー達を発掘し、励まし、サポートすること」を目標に、アジア中から世界平和へ貢献している活動に取り組む青年の代表たちが集い、平和と持続可能な社会について学び合った。